火曜日の今朝、私は昨夜から見ていたもう2回目になるだろうか「ザリガニが鳴くところ」というお気に入りの映画を見ていました。
いつもは音声を英語にし日本語字幕をつけてみます。
今朝はコーヒーを作りながら、音だけ聞いてたまに陥る不思議な感覚。
「英語がわかって嬉しい」
team ezobikeの練習は英語もガンガン飛び交います。いつかのために
①のいつかは社会に出た時、英語力は絶対に役に立つから
②のいつかMTBでいつかアスリートでも旅行でも海外に行くことになった時のために
中学生もチームにいて聞くところによると"苦手"だそう。
なんでだろう?って思って、逆になんで私は英語や他の言語に対してもあまり抵抗がないのか考えてみた朝。
私に英語を教えてくれた先生たちは、英語以外にも他の言語が話せて、
バイリンガルやトリリンガルでいることの楽しさや、それがいか日常を豊かにするかを知っていて、伝えてくれた。だから私はいつも「早く英語を話せるようになりたい」って思っていたと振り返って思う。
じゃあ学校はどうかな?
こんな疑問にぶち当たる。
私のわがままが通るなら学校の英語の先生は、留学経験はなくても英語は不自由なく使えて、身近に英語環境があって、やっぱり日本語+@で英語が話せることの「楽しさ/便利さ」を伝えられる先生であってほしい。ただ受験やテストのためだけの学習ではなく、実践で役立つ英語を学校で教えてほしい!
となるとだよ・・・・英語学習に点数をつけてはいけない。
伝われば100点でいいじゃない。
点数をつけられるから、間違ったら伝わらないって洗脳されるから英語を私たものすごく学んできたのにこれっポチも実践で使えない・・・・
そんな英語ならいらない。学ぶ時間の無駄。だって生活に生かされないもん・・・・
それなら伝われば100点、改善箇所だけ補えばいい。
中にはね、AIが翻訳してくれるから英語を話せなくても困らないという人もいる。
それを否定する気は全くないけど、所詮言葉なんて7%の情報量しか持ってないわけ。そして耳から入ってくる声のトーンや速さなどが38%
音付きの言葉だってまだまだ半分の伝達力もないんだよ。
だからねAIが全部通訳してくれるようになったて、内容だけでは相手に本質は伝わらないんだ。言葉・音・目に入ってくる情報がトータルされて本来の情報が入ってくるから、言葉そのものより、はっきり話す、身振り手ぶりを使う、表情を豊かに使う。こんなことの方が大切なんだよな。
誰かに真顔で「好きです」って言われるのと、ただ言葉なく笑顔で抱きしめられるの、
どちらが「好き」の本質が伝わると思いますか?
でもこんな非言語コミュニケーション力を育んでくれるのが外遊びだったりするはけ!
緑は人の心を自然と治癒する力があって、そんな環境に囲まれて仲間を作りかつづをすると、非言語コミニケーション力は爆上がりする。
得体の知れない、いつどうなるかもわからない自然の中で遊ぶからこそ、私たちはそこで自然に生き抜こうという本能が働き、五感を磨きコミュ力も上げることができるんだ。
あんまり力を入れきれていない、英語をteam ezobike以外でももっとみんなの身近になるようにこれからまた頑張っていこうと思う!
イタリア語とフランス語のある程度の習得を今年を1年かけてやろう〜
じゃっ
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